ニートとフリーター
ニートとフリーターはよく比較されますが何が違うのでしょうか。
フリーターとは、単純に正式雇用ではなく、バイトなどを点々として食いつないでいる人たちを指しますが、ニートは引きこもりも含めていること、貧困の問題を抱えていることと、定職についていないことが、厚生労働省で社会問題として捉えられていることが挙げられます。
フリーターという言葉は、バブル崩壊時期の就職難が叫ばれた頃よりよく聞くようになり、その後、生活が不安定な人々の現状が社会問題となって表面化してきたことで、ニートと呼ばれるようになってきたと言えます。
ネットカフェで生活する住むところのない若者の生活、親に寄生して労働力として社会にでていい年齢なのにいつまでも職につかない若者など、若年層の非労働力、ワーキングプアなど、単なる、フリーター増加ということでは見過ごせない状況だったということです。
ですから、フリーターの状況を問題視する言葉が、ニートと言えるのではないでしょうか。
社会の変化によって、働き方が変わろうとしているかもしれませんが、日本社会の競争力を考えたとき、希望や野心を持っている若者の存在は大きいでしょう。
新しい未来を拓くのは若者ですから、若年層や子供たちがエネルギッシュでなければ、この先、日本の経済活動は衰退してしまいます。
資源のない国日本と言われてきましたが、それは化石燃料時代の話です。
日本人の美しい心と、技術力や文化が世界で認められようとしています。これからは、人材そのものが資源になっていくでしょう。
そう言った考えからも、子供達の未来が明るくなるような希望のある社会になるために、教育に力を注ぐ必要があるでしょう。
詰め込み偏重が批判されましたが、ゆとり教育は成功しませんでした。
可能性の芽を伸ばすためには、力を出し尽くす経験や、何かを苦労して手に入れる経験が必要ですし、百人十色を実感して、他人を認めるたり、自分も認められる経験が必要なのです。